源空寺 (京都市)
表示
源空寺 | |
---|---|
所在地 | 京都府京都市伏見区瀬戸物町745 |
位置 | 北緯34度56分0.6秒 東経135度45分45.9秒 / 北緯34.933500度 東経135.762750度 |
山号 | 寶海山(宝海山) |
院号 | 法然院 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 円光大師像 |
創建年 | 建久6年(1195年)3月 |
開山 | 法然 |
開基 | 忍空 |
中興年 | 慶長17年(1612年) |
中興 | 幡随意 |
正式名 | 宝海山法然院源空寺 |
札所等 | 法然上人二十五霊場第15番 |
法人番号 | 3130005000054 |
源空寺(げんくうじ)は、京都府京都市伏見区瀬戸物町にある浄土宗の寺院。詳しくは宝海山法然院源空寺と称する。法然上人二十五霊場第15番。
歴史
[編集]寺伝によれば、蓮乗房忍空が住持する草庵だった。忍空は当初法然の「選択集」を非難したが、後に後悔して、専修念仏を行じていた。法然63歳の時、奈良東大寺の大仏殿、再建落慶供養の導師を務めた後、帰途、忍空に請われるままに、宿泊し説法をした。それを聞いた木幡の里の人びとは涙を流し、念仏の教えに帰依した。人びとが法然の御影を欲しがったので、法然は、書写して法語を書きためておいた紙を用いて、「張貫の御影」を作り、忍空に与えた。建久6年(1195年)、忍苦は草庵を念仏道場に改め、御影を安置した。
慶長17年(1612年)有名な江戸の幡随意上人台命により、九州から里帰途、広く一切衆生結縁のためには、土地が不便と歎かれ、木幡の里(現在の宇治市炭山)から、現在地に移されんことを請われた。徳川家康公もまた随喜の余り、桃山城内の一宇を寄進されたことにより、念仏道場の基礎が確立された。
伽藍
[編集]- 山門・・・二層の鐘楼門、伏見城の遺構とされる。
- 境内・・・芙蓉、ムクゲ、彼岸花が咲く。
寺宝
[編集]- 円光大師座像
- 阿弥陀仏立像
- 張貫の御影
- 朝日大黒天像・・・豊臣秀吉の持念仏で、伏見城の巽櫓(たつみやぐら)にあったものとされる。出世大黒天ともいう。
- 愛染明王像
- 即一六躰地蔵
御詠歌
[編集]「一声も南無阿弥陀仏と言う人の はちすの上に上らぬはなし」
脚注
[編集]参考
[編集]- 源空寺寺伝